永久の刻[とわのとき]へと 誘[いざな]われてゆく
04
紅く染まった空、影になった日本庭園。
生暖かい風が肌に纏わり付き、周りは苦しい程の無音に包まれていた。
「翼?」
皇の声は無音に掻き消され、響かずに終わる。
手にしていた麦茶のグラスは、紅い空のせいで中身が違う物に見え、皇は眉を寄せて縁側に置いた。
不意に、気配を感じて後ろを振り返る。
先程まで団欒があった襖の先に、ゆらゆらした影が立ち上り、部屋の中をぐるぐると回り始める。
何かを探しているのだろうか。
皇は襖の中を覗きこもうと、一歩踏み出した。
だが、一歩踏み出した途端に肩に錘を置かれたような圧迫感を感じ、背中に、腕に、顔に、額に、冷や汗が流れだす。
なんだ、これは。
言葉もでない。
紅く染まった襖の中には、友人たちが眠っているはずだ。
それなのに。
皇はゴクリと喉を鳴らすが、唾液はない。
口の中はカラカラだ。
「そのまま、静かに」
重苦しい空気の中に、響く声。
しかしそれは消えてしまいそうな程細く、意識しないと気付けないような。
「あなた、何故ここに居るんです?」
ゆっくりと庭園の方に体を向けると、そこには人が立っていた。
驚いて体を動かそうとするが、ピクリとも動かない。
顔は、狐の仮面で隠されているが、自分より幾分か背の低い、少年だ。
来ているものは着物で、
それは何色なのかわからない。
「…あの、女の子知りませんか」
少年は急にそう尋ねると、首を傾げた。
もちろんその女の子を見たわけもなく、首を横に振る。
「そうですか、ありがとうございます」
「なあ、ここは…」
狐の仮面を付けた少年には、何故か違和感を感じず、スッと言葉がでる。
「…もしかして、あなた…。あの人が言ってた…」
それじゃあ連れていかないと、と呟くと、少年は皇に一歩近づいた。
「あの人?」
「あまり喋らないでください。大丈夫です、必ず助けます」
助ける?
この紅い世界からか?
少年が皇に向かってそっと手を伸ばす。
それにつられて皇も少年の方に手を伸ばそうとするが、肩が重くて動くことが出来ない。
「もしかして動けないんですか?」
少年の声に肯定の視線を送ると、少年は着物の帯に手をやり、小さな袋を取り出した。
「これ以上近づくと俺も気づかれます…。今は、助けられません。いいですか、ここで捕まると帰れなくなります。…俺が迎えに来るまで捕まらないでください。これを」
少年は手にしていた袋を縁側に投げ、それは皇の足元に落ちる。
袋から懐かしい匂いが漂う。どうやら匂い袋のようだ。
「…!逃げて!それを持って早く!」
「え」
背後で何かを引きずる音が聞こえる。
ズル、ズル、……。
重たい物を、ゆっくり引きずるような。
思わず後ろを振り返ると、目の前の襖がゆっくりと開き始めている。
「はやく!」
少年の声にハッとなり、足元の匂い袋を拾い上げてその場を離れる。
少年の方に向かおうとして、縁側の淵に足をかける。
「なんだよ、これ」
「獲物が見つからないから逃がさないようにしてるんです!」
心なしか、少年の声も聞こえ辛い。
「どうすればいい!?」
「大丈夫、その香を離さず、裏に遭わないように隠れて!」
「裏ってなに!」
「それか一度、醒めてください!」
ズルズルと音が聞こえる。
少年の方には行けない。
裏手に回って逃げないといけないが、少年とはもう会えないだろう。
「なんだよ…」
もう一度少年を見ると、少年は襖の方を見つめて、何かを唱えている。
次の瞬間、少年の体に得体のしれない黒いものが張り付いた。
わからない。けれど、足が震える。
「…っ」
皇は走った。
走って、走って、走った。
離れの裏から翼の家であるはずの誰もいない家を。
「違う…」
走りながら気づく。
ここは翼の家ではない。
襖は破れ、蜘蛛の巣にぶつかる。
ここは、
「どこなんだよ!」
「皇!」
「うわぁ!」
「えぇ!?」
急に自分の名前を呼ばれて肩を触られて振り返る。
そこには驚いた表情の翼がいた。
突然のことに体が動かずにいると、翼はびっくりしたのはこっちだよ、と頬を膨らませた。
「ここは…」
「俺ん家の離れ。ついでにお前は皇」
飽きれたようにそう言うと、翼は氷の入ったオレンジジュースを差し出してきた。
自分は今、寝転がっていたらしい。
ゆっくりと起き上がってそれを受け取る。
…中身が麦茶じゃなくてよかった。
あの、どろどろとした…。
「昨日、どうした?」
「へ?」
「縁側にいたじゃん」
「いや、寝てたよ。今起きたし」
翼は首を傾げながらそういうと、他のやつも起こす!と未だ爆睡している布団の山に向かった。
じゃあ、あの時から、
「夢…?」
夢だったのだろうか。
あの紅い空、黒い影、狐の仮面を付けた少年。
そして…。
「…違う」
皇は今まで握りしめていた右手に気づく。
そっと開くと少年に渡された匂い袋がそこにあった。
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