学校狂い。
学校狂い
「何わけわかんねーこと言ってんだよ」
クラスの男子が一人、矢野を押し引いて、扉に手をかける。
ガッ、と何かが引っかかっているような音を立てて…
扉は、動かない。
「うおっ」
思い切り力を入れてしまったのか、その反動で男子は手を離す。
泉はその男子も扉の前からどかし、内側についている鍵を回した。
「掛かってない」
「確かめたさ!…隣の、窓もな」
扉の鍵はぐるぐる回るだけで、掛かっていない。
それに矢野の言葉が本当ならば…。
泉の視線を受けて一人が窓に手をかける、が。
「だめだ」
「鍵は、掛かってない」
「ええ!?一斉に油切れ?そんなバカな…」
隣で香織が驚いたように声を挙げるが、事態は一向に悪くなるばかりだ。
「ダメだね。ベランダ側も全滅さ」
「和歌…」
いつの間に調べたのだろうか、ベランダ側の窓も全てびくともしないようで、
彼女は不安そうに香織と有希の肩に手を置いた。
有希はそんな和歌の表情を見て、俯くように「座ろう」と二人に声を掛けて自分の席に戻る。
確かに扉が開くまでは時間が掛かりそうだし、と香織も和歌も有希の近くの席に腰を下ろす。
力なく鞄を下ろした有希は、そのまま机にうつ伏して、ため息をひとつ、つく。
有希の行動を見てかそうでないかはわからないが。
しばらくは教室を出られそうにないと感じ取ったクラスメイトが各々席に着いたり、騒ぎ出したりする。
そのうち他のクラスの奴や、先生が気づくだろう、と諦めたからだ。
「嘘だろ?鍵も掛かってないのに」
「優、やめとけ、怪我するぞ」
一同が騒然となり、なんとかなるだろうという雰囲気になった中、一人だけ忙しなく動いていたのが結城優(ゆうきゆう)。
一生懸命窓を開けようと試みるがびくともしないのに、どうしてクラスメイトたちは焦らないのだろうか。
そう思う程、優は何故か追い詰められていた。
「優」
「瀬奈…」
そんな優を止めたのは泉瀬奈(いずみせな)で、彼もまた尋常ではない出来事に不振を感じていたが、
それでも出れないものはしょうがない、と視線で訴えた。
「大変なことになったねぇ。泉、ここでミーティングやっちゃおうよ」
「ああ」
バスケ部のミーティングの内容は決まっている。
どうせ部長と副部長、そして顧問の話し合いなのだ、ここに部長二人がいるのは都合がよかったかもしれない。
あの顧問が文句をいえないほどに内容を固めておこう。
「…若菜、大丈夫か?」
「ふふ、結城はほーんと!わかりやすいよね!」
「な、なんだよ!!」
泉に連れられた優がその場に座るのは必然的であったが、
なにより香織にとっては優はからかいがいがある存在でしかなかった。
それもそのはず。
周りからみて、バレバレの有希に対する感情。
いい意味でいうと感情豊かなのだが、それも恋愛感情になると迷惑というか、可哀想でしかない。
それに、
「有希は全然気づいてなくってよ?」
「むう…」
優は香織の言葉に小さく頬を膨らませ、照れたようになんとなく誤魔化す。
有希は鈍い子ではない。
むしろ鋭いぐらいだ。
けれどもこんなに分かりやすい優の感情に気づかないのはどうしてだろう。
気づかない振りをしているのかとも考えたが、有希の、優に対する態度を見るとどうもそうでもないし。
「私は応援してるんだけどね?」
「えっ」
「かわいいんだもん、セットでいると」
「……!」
優はサッカー部だ。
運動神経抜群で、頭も悪くない。
けれど、
「みにまむず」
「くっそー!」
身長が、低い。
しかしその優よりも小さい有希。
小動物のように愛くるしい行動をするこの少女を、香織も和歌も…大好きだった。
それに優の一途な想いも悪くない、と思ってしまう。
もう一度香織は小さく笑って、先ほどからずっとうつ伏したままの有希の頭をそっと撫でた。
有希は、動かない。
机にうつ伏せて。
周りを遮断して。
考えて、考えて…。
考えた結果がひとつにしかならない。
どうすればいいの?
最初はまあ、時間は掛かるだろうが何れ開くだろうと思われていた空間。
好きなだけ騒いで、喋って、……今は静寂。
それは少しだけ時間を遡って、一人の男子が悪ふざけをしすぎて思い切り窓に水筒がぶつかったことから始まる。
あれだけ勢いよくとんだ水筒。
魔法瓶の水筒が大きな音を立てて窓に当たったのに…。
窓は割れるどころか、ひびすら入らなかったのだ。
「…!」
クラスが一瞬にして静まり返る。
既に打ち合わせなんか終わっていた泉もそれを目撃していて、
自分の鞄から水筒を取り出して、それを投げる。
バンッ!
大きな音を立てて、水筒は床に落ちる。
「ちょっと…」
「なに、こわい…!」
「瀬奈…!」
「本気で投げた。…おかしいだろ」
優の言葉に焦ったように泉が応える。
別の男子が思い切って椅子を持ち上げて、窓にぶつける。
「だめだ…!」
窓は、びくとも動かなかった。
「何、私たち……完全に閉じ込められてる?」
「私たちの声も、聴こえないんじゃ…」
「でも、どっちにしろ夜になれば帰ってこないから…分かるはず…」
ボソボソと呟きはじめるクラスメイトたちも、体力がなくなってきたのか力ない言葉しか出てこない。
逆に、
「……」
「有希?」
先ほどまでずっと机にうつ伏していた有希だけが顔を上げ、立ち上がった。
そして歩きだして、一人の男子生徒の前で止まる。
有希の行動に首を傾げるものがいる。
それもその筈、有希の目の前にいるのは校則違反の金髪をバンダナで括って、
それでいて前髪をヘアピンで止めている頭に、赤色のピアス。
完全な不良だからだ。
「ちょ、有希!」
もちろん有希が彼と話している姿は見たことないし、接点もない筈で。
けれども彼の表情はどう見たって、
「……有希」
彼女を心配している表情だった。
「え、浅見と有希って、まさかの知り合い?」
「いや…初耳なんだけど」
和歌と香織がこそこそと話す。
香織は小学校から有希と一緒であるが、彼は中学生から一緒になったし、
中学生になってから…外見も中身も不良とはとてもいえない有希が、
あの外見から不良の浅見海斗(あさみかいと)と知り合だなんて、知らない。
「ちょっと、こっち見られても私も分からないのよ!」
もう一人、不安げに香織を見るのは優で。
泉も驚いたようにあの二人を見ている。
「海斗と若菜か…」
「そういや浅見って部活ではどうなの」
「見た目はああだけど、実はすげーいい奴だよ」
泉の言葉に「へぇ」と声を挙げるも、視線はあの二人のまま。
有希の表情は、何かを決意したような、そんな目をしていて。
海斗はそれを……。
「来たわ」
「……やっぱりか」
有希の言葉に海斗は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、目の前の有希の目を見つめる。
「あいつの言ったとおりだったな」海斗の呟きに有希はただ頷いて、海斗の前の席に座り、目を瞑る。
そしてそっと自分の頭につけているヘアピンを触り、目を開いた。
「護るわ」
「……俺は、」
「それが私が、助けられた理由だと思うの」
「……俺が、どやされる」
「いいじゃない」
くすり、と有希は笑う。
それはもう、優しい微笑みで。
そして有希は振り返る。
「大丈夫だよ」
「私が、みんなを護るから」
「有希、何言って……」
「これから話すことは嘘じゃねえ」
ガタ、と席を立ち上がった海斗に、クラスメイト全員の視線が集まる。
「そう、私たちは話さないといけない」
コ レ カ ラ 始 マ ル 、 恐 怖 ヲ 。
学 校 狂 イ ヲ 。
誰も、一言も発さない。
いや、海斗と有希の存在が、そうしているのかもしれない。
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込んだ。
「これから、悪夢が始まる」
海斗の言葉に、少しだけざわめきが戻るが、
それもつかの間で、また静寂に包まれた教室に、カチ、と時計の針が進む音が鳴る。
そう、私たちは既に六時間、この教室に閉じ込められているのだ。
「悪夢、って?」
静まり返ったこの空間に、優の声が響く。
そもそも、学校狂いとは何だ。
口々にまた言い出すそれに、有希は教室の時計の傍に張られた掲示物を見る。
学級目標だ。
有希は、分かっていた。
これから話しても間に合わないことを。
自分が護ると言ったけれども護れない可能性の方が高いことも。
けれどもこの六時間。
有希は決断することができなかったのだ。
告げずとも、迫り来る恐怖。
そして……死。
「学校狂い……それは」
「 学 校 ガ 狂 ウ ノ ヨ 。
ソ ノ マ ン マ ダ ヨ ・ ・ ・ ? 」
「い、いやぁあああっ!!なに、何この声っ!!」
クラスメイトの女子の悲鳴が響く。
海斗は有希を見る。
低くて、どこまでも冷たい声に聞き覚えがあったからだ。
指が、足が、膝が笑って格好悪い。
それなのに有希は、ゆっくりと上を見上げた。
彼女もまた、この声を聞いたのは初めてではないのだから。
「おい、若菜!浅見!これは一体何なんだよ!!」
「…何、か。それは俺にも、有希にもわからねぇ」
「はあ!?」
「久しぶりだね、アリス。……出来れば会いたくなかったわ」
「クスクスクスッ! あなたも、ばかねぇ?」
「……海斗!」
有希の言葉に海斗がベストにつけていたヘアピンをひとつ取り外し、
教室の扉へと投げつける。
それは真っ直ぐに飛び、カツン、と当たってその場に落ちた。
「みんな、逃げて!!」
その言葉と共に、教室の扉が勢いよく開かれた。
海斗が一番最初に飛び出して、教室から出て行く。
それに続いて他のクラスメイトも次々と飛び出して、ちりじりになっていく。
机も、椅子も、ガタガタで汚い教室。
けれど、
「……!結城も、早く!」
護りたい。
有希は呆然としてまだ立ち上がってすら居ない親友たちと、
泉、そして優を急かして教室から追いやろうとぐいぐいと腕をひっぱる。
もちろん女の腕ではいくら優が小さい体系とはいえ、動かせるわけがなかったか、
今にも泣きそうな、顔面蒼白の彼女の表情を見て思わず立ち上がった。
「逃げて!はやく!!」
「逃げるって…!」
「玄関は無理よ。どこか、別の場所…」
「有希、」
「早く!!」
ドン、と背中を強く押され、優は教室からはじき出された。
直ぐに後ろを振り向こうとするが、泉がそれを制して廊下を指差す。
泉の言わんとすることを優は分かっていた。
けれど、有希はまだ教室にいる。
「結城!今は取り合えず行こう!」
「……っ」
こうして、中学二年生の私たちは、
暗くて、長いながい……廊下を走った。
「逃げられると、思ってるのかしら?」
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